中2のとき、ギャルに憧れていた私は、キグルミンと呼ばれる着ぐるみファッションを学校の泊まり行事「スキー教室」の夜にパジャマとして着たくて、父にeggやランズキを見せながら、「ピカチュウとかキティちゃんのモコモコのかわいい着ぐるみを友達と着たい」とおねだりした。
絶対に「けしからん」と怒られると思った。しかし父は「かわいいね」とにっこり。「買ってきてあげるよ」とまで言った。私は「勝った」と思った。完全にギャルへの1歩を踏み出したと。
いつもなら、帰ってこようがこなかろうがどうでもいい父の帰りが待ち遠しい日々を過ごすこと数日。父が買ってきたのは、ペラペラの、すってんてんの、乳とかぶら下がっちゃってるような、とってもとってもかわいくない牛の着ぐるみだった。弟とそろいの2着で。
牛
「牛だぁ〜! モォ〜モォ〜!」などとはしゃぐ弟を押さえつけ「またまた、ご冗談を」と表情で訴えるも、父はカメラを片手に待つばかり。何かの圧力に屈するように着替えた姿(牛)を見せると、シャッターを切りながら大笑いしていた。……おい父ちゃん、やってくれたな。
私の中で勝手に開催されていたギャル予選大会inスキー教室は棄権。おとなしくパジャマはグレーのスウェットにしたのだった。
あの頃はよくこんな風に、父に冗談か本気か分からないすっとぼけをよくかまされていて、その度にしてやられたとガッカリしていた。
だけどもし、調子乗りの私がスキー教室でピカチュウやキティちゃんの着ぐるみを着ていたら、その後の人生の調子が悪くなっていたような気がしてならない。だって、調子乗りがまんまと調子に乗ったらつまらないから。
事故る前にブレーキを踏んでくれたのかもしれないと思うと、今では、おい父ちゃん、やってくれたな(いい意味で)となるから不思議だ。
そしてこの話を人にしたとき、なんだか良いね、かわいいねとみんなが笑ってくれるから、そこでもまた、おい父ちゃん、やってくれたな(ありがとう)となってしまう。その積み重ねを感じられることが年々多くなるのも、本当に不思議だ。