こんなもんです

中卒女が今さらなことに驚いたり学んだりする日々をだらだらと記録しています。唐突に気持ち悪い話や思い出話をします。

友達親子

夕方、同居人が80歳を過ぎた自分の母親に、「今日、鬼滅やるよ」とわざわざ電話していた。

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地上波で放送された「鬼滅の刃」をたまたま見た母親の、「血がいっぱい出てあれだけど、禰󠄀豆子ちゃんを守るためだから仕方がないのよね」という感想がうれしかったらしい。

同居人自身、「アラフィフ」と呼ばれる年齢になり、流行りものがわからなくなってきた。普段、映像や音楽は、自分にとって懐かしいと思えるものばかりを見たり聞いたりしている。

そのなかでたまたま見た「鬼滅の刃」は、珍しく世間の波に乗れたこともあって、ものすごくハマっていた。歳をとった母親が、だいぶ遅れてはいるものの、自分と同じように世間の波に乗ったことを、喜ばしく思ったのだろう。

ミーハーなマザコンのおじさんと言ってしまえばそれまでだけど、私はとっても微笑ましかった。きっと、自分の好きなものを親が好意的に受け入れてくれることは、いくつになってもうれしいものだ。

 

私も幼いころ、お母さんがポケモンのゲームにハマったことは、とってもうれしかった。ポケモンにハマっている人は、クラスメイトに、学校に、日本中に、たくさんいたけれど、お母さんがポケモンにハマっていることはものすごく特別に感じた。

自分にとっての一番身近な大人で、毎日一緒に過ごしているのに好きなものを共有できない唯一の存在だからこそだった。私に買ったものなのに、子どものものなのに、大人のお母さんがゲームボーイを操作する姿は貴重に思えた。

ほとんどのことを「よかったね」で済まされてしまうなかで、ポケモンだけは「お母さんにやらして」と言われる。そのときだけ、お母さんが同い年の友達に見える。お母さんがモンスターボールを投げるとき、ジムリーダーに挑むとき、必死になって応援した。

しばらくして、セーブデータを誤って上書き保存してしまったときは、とてつもない罪悪感を覚えた。お母さんが「もういいよ」と落ち込む姿を見て、おねしょしたシーツを隠して怒られたときより、ずっと反省した。そのあとお母さんがポケモンをやらなくなってしまったことは、今でも後悔しているくらいだ。

 

アラフィフの同居人と80歳を過ぎた同居人の母親も、「鬼滅の刃」で一瞬でも同い年の友達になったのだろう。ああ、二人がかわいい、いとおしい。同居人のお母さんも、煉獄さんが死んだら、同居人みたいに泣いちゃうのかなあ。

電話を切った同居人に、ニヤニヤしながら「無限列車編も見てほしいね」と言うと、同居人もニヤニヤしながら「ね、その日にまた電話しよう」と言った。とっても微笑ましい出来事だった。