こんなもんです

中卒女が今さらなことに驚いたり学んだりする日々をだらだらと記録しています。唐突に気持ち悪い話や思い出話をします。

タカノさん

孫はカフェの扉に貼られた「しばらく休業します」の紙に唖然とした。孫から「おすすめの店がある」と聞かされていたおばあちゃんは、「あら、どうしようね」と言って隣家の日陰に入っていった。

カフェはステイホームに飽きてしまったおばあちゃんの憩いの場となるはずだった。孫はカフェへと向かう道すがら、一度しか行ったことがない「おすすめのカフェ」の魅力を懸命に語っていた。

「ごめん……どうしよう」と口ごもる孫の横で、おばあちゃんは「コロナ……いや、介護かね」と休業の理由を推察する。おばあちゃんの知り合いのタカノさんは、介護と孫の弁当作りで手一杯だそうだ。

「とりあえず大通りに出ようか」タカノさん家の事情を話しているおばあちゃんを連れて、あてもなく歩き出す。「この前、タカノさんと1万7000歩も歩いたの」と話すおばあちゃんの足取りは軽い。

孫が急ピッチで大通り沿いの店を頭にリストアップするあいだ、おばあちゃんは、タカノさんの一日、植木屋の粗相、牛乳石鹸の快挙──話題をころころと変える。いつのまにか孫の腕には、牛乳石鹸が入った袋がかけられていた。

孫は大通りの先に沖縄料理屋があることを思い出した。行き先が落ち着き、足早になる孫の横で、おばあちゃんは橋の欄干に両肘をつく。「すごいね、生命力」と川縁に咲いたコスモスを指さすおばあちゃんは、まるで少女のようだ。

二人は沖縄料理屋にたどり着いた。全身にオリオンビールを行き渡らせると、くたびれた孫の足とおばあちゃんの喉が癒やされる。南国風の店内に差し込む10月の陽光は、常夏の色をしている。

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孫が話のとっかかりを探す必要はない。おばあちゃんは、きゅうりを食べれば漬けてある野菜の話をするし、猫の写真を見せれば50年前に千歳烏山で飼っていた犬の話をする。

気付くと店内にはオリオンビールを傾けるおばあちゃんと孫、エプロンを外した店員と店主しかいなかった。「すみません、時間。お会計お願いします」と声をかけると、店主は「いえいえ、また来てください」と長いまつ毛を揺らした。

帰り道、おばあちゃんは今日もまたあの話をした。マスクのなかで息を切らしながら、「どうしてあのとき、優しくしてあげられなかったんだろうって思うの」と鼻をすする。「お父さんは優しい人だった」と言って、簡単に涙を流してしまう。

おばあちゃんは歳を取り、幼くなった。孫が若いころには見せなかったナイーブなところを、言葉や涙として、ぽろぽろとこぼす。孫は、「おばあちゃんと孫」の関係を超えていくことに、寂しさと同じ分、いとおしさを覚える。

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「いいんじゃない、二人とも優しいんじゃ夫婦としてやってけないよ」孫はわかったようなことを言って、橋の欄干に両肘をついた。おばあちゃんは、「そうよね、うん、そうよね」と繰り返し、孫を追い越すと、タカノさんの話を始めた。