こんなもんです

中卒女が今さらなことに驚いたり学んだりする日々をだらだらと記録しています。唐突に気持ち悪い話や思い出話をします。

エーデルワイス

眠るとき、時々クラシックのピアノ曲を聴く。小学生のとき、母が時々クラシックのピアノ曲を眠る前に流してくれていたから。

 

小学校に入学してすぐ、私はピアノ教室に通うことにした。親は習い事に興味があるほうではなかったから、多分、私が何かに憧れて「行きたい」と言ったのだと思う。

ピアノ教室には毎週通った。祖父母はグランドピアノを買ってくれたし、先生は優しかった。だけど、私は楽譜を全く読めなかった。

何をどうしたって、音符がわからないのだ。それでも課題曲はあるし、ピアノ教室へ行く水曜日は毎週訪れる。年に一回は大きなホールでピアノの発表会もある。一つ一つの音を全て、指の位置で覚えるしかなかった。

それは至難の業だった。1曲を覚えるのに楽譜が読める人のおそらく何十倍も時間がかかるから、もう大変。加えて、楽譜を見ないで演奏すると、先生に「え?」という顔をされるから、手元が見られない。

私は通い始めてすぐ、行くのが嫌になってしまった。課題曲の「エーデルワイス」がかわいい花ということしか覚えられず、水曜日が憂鬱でたまらなくなってしまった。

レッスン開始時間の16時が近づき、家を出る時間になると、毎週必ず玄関で「行ぎだぐないよおおお」と泣いていた。その度に母から、「そんなに行きたくないなら辞めてくれ、めんどくさいから辞めてくれ、月謝もかかるし辞めてくれ」と説得されていた。

だけど、「辞めだぐないけど行ぎだぐないよおおおうおおお」とさらに泣き、鼻水を垂らし、15時40分になると嗚咽をもらしながらピアノ教室へと向かっていた。キティちゃんのレッスンバッグで涙と鼻水がついた手を拭いて、先生にあいさつをしていた。マジでムズい子どもだった。

ピアノを弾きたい気持ちはあったのだ、多分。だけど、5年間通った結果、ト音記号を上手に書くことしか身につけられなかった。何をムキになっていたのだろう、母の説得が奏功し、辞めたときにはせいせいした。

通っているあいだ、母が「ピアノを嫌いにならないように」と、眠る前にCDコンポで流してくれたクラシックのピアノ曲。苦い思い出ではあるけれど、母のおかげで30歳になった今でもピアノの音に心地よい親しみを感じる。「エーデルワイス」だけは、聴くとしょっぱい味が口の中によみがえるけれど。