大晦日には雪がちらついていた。松の内までを食いつなぐための買い出しに奔走中の出来事だった。置いてけぼりだったシャウエンには初雪がお預けとなってしまい、2021年の心残りとなった。
年を越す瞬間に着ていた寝巻きは生乾き臭かった。夜更かしに付き合ってくれた同居人とシャウエンに新年のあいさつをして、「もし10億円が当たっても人が変わらないでね」と真剣に話したことを東雲のころに思い出したら、くだらなくて笑えた。
元日は、テレビは風景であるとしみじみ思った。テレビでは正月には正月の、それらしい張り切った映像が昼夜を問わず流れる。コタツにて寝転がって見る窓枠の中がいつもと何ら変わらないように感じる私は、テレビにて年をまたいだ気分に浸った。
雨に濡れる紫陽花の映像が流れたら、生乾き臭も相まって入梅の気分に浸るのだろうか。缶ビールを片手に面白かったりつまらなかったりを繰り返す元日のテレビを眺め、太陽というより日のムードを演出する光に目を細めた私は無邪気だった。
腹に蓄えられた肉を見て、正月の面影を偲ぶ数日後が、遠い未来に思える。数日前のクリスマス、数カ月前の紅葉、数年前の炎天は、昨日のことのようなのに。数日後のテレビが風景を映し出さないことを祈って、ひたむきにダラダラしよう。