こんなもんです

中卒女が今さらなことに驚いたり学んだりする日々をだらだらと記録しています。唐突に気持ち悪い話や思い出話をします。

ペンネーム

時々、何でペンネームを「あだちまる子」にしちゃったんだろうと考えることがある。本名とかけ離れているから名乗ると必ず相手の頭上にはてなが浮かぶし、ライターとして活動するために取って付けた名前とはいえ、なんかダサいな…と恥ずかしがる始末。


名付け親にここまで言われるなんて。あわれな「あだちまる子」。だけど、これでも一応しっかり考えて付けたものなんだ。


「あだち」。これは私がアダルトチルドレンだから。ググって出てくるような深刻なものではないけど、拙い心と頭のまま体だけ大きく成長してしまった自分を形容したカタカナ言葉を略して苗字らしく付けたもの。


「まる子」。これはおじいちゃんにとても愛されていたから。アニメの「ちびまる子ちゃん」に出てくるまる子と友蔵が、まるで私とおじいちゃんみたいだと幼い頃からよく周りの大人に言われていて、それにふさわしいくらいおじいちゃんに愛されていた私はまさしく「まる子」だった。ヘラヘラしてやることをやらずに寝転がってばかりいたから「まる子」という線もおおいにあるけど、やっぱりこの手柄はおじいちゃん、節夫にある。


友蔵のように茶を飲んで「まる子や〜」とは言わなかったけど、朝から酒を飲んで真っ赤になった顔で自慢の替え歌「私の大事なかえでさん」をよく披露してくれた。一緒に暮らしていたからこれが毎日の儀式で、小学校の行きと帰り、「いってきます」と「ただいま」のお返事がこの一小節だった。


友蔵のように俳句は読まなかったけど、アル中で早々に仕事をリタイアしたおじいちゃんはその日お家と近所であった出来事や昔のことを小話のようにしてよく聞かせてくれた。飼い猫「ノウラ」との会話、親友「ヒロシ」の不幸話、おばあちゃんのおっぱいの形、この3つが鉄板で、ランドセルを下ろしたらいつもおじいちゃんがいるソファの横を陣取ってお菓子を噴き出していた。


これをどう見て周りの大人たちが友蔵とまる子のようだと言ったのかはよくわからないけど、おじいちゃんが生まれたばかりの私を抱えて近所の家一軒一軒に「この顔を覚えろ」とあいさつに回っていたから、私は近所でも有名な「○○さん家の溺愛されてる孫」だった。


そんなおじいちゃんとの思い出はどれも穏やかじゃなくて、一緒に出かけりゃ酒を飲んでひっくり返るし、友達と遊んでりゃワンカップを片手に車に轢かれそうになってるおじいちゃんの姿を見かけていたから、誇りに思うより恥ずかしいと思うことの方が多かった。


中学生になって髪を染めた私を見ても「外人さんみたい!」と褒めてくれたり、短いスカートで出かけようとすれば「スタイル抜群!」と見送ってくれたりして、いつも味方でいてくれたけど、いくらお酒を飲んでも私が帰ってくるまで心配して夜中までずっと起きているおじいちゃんを疎ましく感じるようにもなっていった。


次第にそそくさと家を出るようになって、帰ったら自分の部屋に直行して、顔を合わせないようにすることが多くなって、18歳の時に家を出てからあまり会うこともなくなった。20歳の成人式のときに着た振袖姿を覚えたばかりの携帯電話で何枚も写真を撮ってくれたのが最後の思い出。そのあとしばらくもたたないうちに末期のガンが見つかって死んでしまった。


葬式でわんわん泣いたけど、そんな自分が自分でも少し滑稽だった。最期の方のおじいちゃんのことを知らなくて、お猿さんみたいに顔を真っ赤にしながら小学生の私を笑わせてくれるおじいちゃんの顔しか浮かばなかったから。最期まで、大人になってもおじいちゃんに愛される孫でいてあげたかった、なんて後悔を残してしまった。


小学生の時のまま止まってしまったアダルトチルドレンのかわいい孫、あだちまる子なんて笑っちゃうな。今じゃ自分がワンカップを片手にふらふら出かけたりひっくり返ったりしていて、まる子というより友蔵、いや、節夫になってしまったよ。恥ずかしいけどやっぱり好きかもしれない、あだちまる子はいい名前だ。

 

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