三年生のとき転校してきたサキちゃんは、四年生の進級を前に学校へ来なくなった。
背が低くてかわいらしいショートカットのサキちゃんは少し人見知りで、クラスの女子が友達になりたいと取り合いをするくらい人気だったけど、学校を少し休みがちだった。
そのころ私は頭の中の“あったらいいな”を人に話すのが好きな厄介な子供で、近所の家のすりガラスにうつる大きなゴリラのぬいぐるみの影を「あの家にはゴリラ男が住んでて、ああやってずっと外を眺めてるんだ…」と話してみせたり、低学年の子とよく遊んでくれる六年生のお姉さんのことを「アイツは誘拐組織からの回し者で、ああやって子供を手懐けてさらうんだ…」と色んな子に話していた。
みんなはそれをどう思っていたかはわからないけれど、「えっ!そうなの?」と驚いてくれるサキちゃんが私は大好きだった。
だからサキちゃんが不登校になったのが寂しかった。
だから私はサキちゃんの家へ毎日立ち寄ることにした。
毎日毎日飽きることなくサキちゃんの家に行く私に、はじめは付き合っていた子もあきれ果て、次第にそれは周りから奇行と捉えられた。
しまいには「楓ちゃんがどうかしてる」と誰かが先生に吹き込み、私の奇行について話し合う会まで開かれた。
終始(そうじゃないんだよなぁ)という気持ちしか湧かないその会は、「いい人ぶりたいの?」と先生に言われたり、「楓ちゃんばかりズルい」と泣かれたり散々だったけど、その日も行くのをやめなかった。
毎日来ては帰っていく狂気のクラスメイトに観念したサキちゃんは、2~3日に一度の放課後だけ家から顔を出すようになった。
その2~3日に一度、サキちゃんの家の駐車場で遊んで帰る日が大好きだった。
おしっこを我慢できなくて帰り道におもらしをした日も(もしかしたら今日もサキちゃんと遊べるかもしれない)と、おしっこ臭い状態のままインターホンを押して、出てきたサキちゃんに「これはその、雨がたまたまここに当たっただけだから!」と言い訳をして無理に遊んでもらうくらい、一緒に遊ぶのがうれしくて楽しかった。
母には「股間だけ濡れる雨があるか」とブチ切れられた。
そんな私にサキちゃんは「学校に来てもらいたいわけじゃないのかな?」と思ったのかわからないけれど、放課後は必ず遊んでくれるようになり、気が向いた日は学校に来るようになった。
ある日、サキちゃんの家の駐車場にあった、前の家主が置いていったであろう壊れた犬小屋に、白黒と三毛の2匹の子猫が産み落とされているのを見つけた。
次の日も、そのまた次の日も2匹はそこにいて、いつものように放課後立ち寄ると、サキちゃんは先に駐車場にいて「まだいるよ」と犬小屋を覗いていた。
そのまた次の次の日か、ふたりは「そっちは白黒で、こっちは三毛ね」の言葉を交わし、私はそっと三毛を手提げ袋に入れ、ときどき中をのぞいては、ニヤニヤしながら家へ帰った。
さっそく三毛を親に披露して必死にワケを話すと、呆れながらもちゃんと面倒をみることを条件に飼うことを許された。
その日の晩、三毛の名前に頭を抱える私に、誰かと電話で話していた母が受話器を下ろし「今サキちゃんのお母さんから電話があって、サキちゃんがいなくなったみたいなの」と話した。
父は立ち上がり「行くよ」と私を連れて家を出た。
しばらく夜道を探すと、暗い田んぼの脇道で白黒を抱えしゃがみ込むサキちゃんを見つけた。
どうやら母親にうちでは飼えないと怒られ、家を飛び出たらしい。
「帰ったほうがいいよ」と話しかけてもジッと動かない彼女に、「2匹はうちで飼うことにしよう。でも、うちに遊びにきたときは飼い主として2匹のお世話をしてね。」とお父さんが言った。
サキちゃんはしばらくタオルに包まれた白黒を固く抱き寄せ、グッと堪えた表情でそっと私に渡した。
白黒の「クロ」と三毛の「チビ」はいつもふたりの主人公だった。
ふたりがお絵かきするリュック(FFX)の肩にはチビがちょこんと座り、クレア(バイオハザード)の相棒としてクロがゾンビと戦い、深紅と真冬(零)がおうちで飼ってる猫として2匹がじゃれあっていた。
うちにあるボウガンやエアガンを見に遊びにきた杉田くんと小山くんも、クロちゃんとチビちゃんにはいっつもメロメロで、クラスでは粗暴で変わり者だと思われている杉田くんの優しい眼差しに恋を覚えたりもした。
サキちゃんはあいかわらず学校には来たり来なかったりだったけど、猫好き4人で放課後集まって猫探し探検をしたり、ふたりでお絵かきやゲームをする日々が、サキちゃんの親の離婚で転校するまで続いた。
電車で1時間ほどの場所へ引っ越したという彼女からの手紙にお返事の手紙を送って以降、便りはなくなった。
それから何年か経ち、どうにか足りない頭で電車で1時間ほどの場所にある高校へ進学し、1ヶ月ほど経ったあるときだった。
違うクラスにサキちゃんがいることに気づいた。
本当に偶然だった。
あのときと変わらず他の子より少し背の低いサキちゃんがそこにいて、友達らしき数人の女の子と仲良く話していた。
「サキちゃん元気だったんだ!」
安堵と運命的な再会に心が震えた。
だけど、「久しぶり!」と笑顔で話しかけたい気持ちと裏腹に足がすくんだ。
もしかしたら、サキちゃんは今まで私に気づいていながらも、不登校だった過去を隠したくて、話しかけてこなかったのかもしれない。
あのときクロちゃんを抱きしめ、赤く腫れたまぶたを隠すショートヘアは肩の下まで伸びていて、ひざ下のスカートをまとう彼女からは、派手な容姿で少し規範から外れた私が不快な存在に見えたのかも。
それより、あのときのことなんて忘れているのかな。
そもそも、あのとき迷惑だったかな。
彼女を見つけたその瞬間から、避けるように、交わらないように。
「サキちゃんのことなんて忘れた違う世界の女の子」として一人勝手に振る舞った。
それから半年も経たないうちに、私は素行の悪さから高校生活を終わらせた。
それから数年後、覚えたてのお酒でベロベロになるまで酔った帰り、コンビニで杉田くんとバッタリ会った。
フラフラと近寄り、朝方のコンビニに似合わぬ大きな声で「杉田くんだ~!覚えてる?わたしさぁ、杉田くんのこと好きだったんだよね~」と酔った勢いのまま話しかけた。
杉田くんは苦笑いを浮かべるだけで、私はいたたまれなくなってそそくさとコンビニを出た。
家に着くと、あのときより大きくなったチビちゃんが玄関まで迎えに来てくれて、クロちゃんは布団でぐっすり眠っていた。
あぁ、私はサキちゃんに話しかけることもできないまま高校を辞めるにとどまらず、今日は思いっきり酔っ払いの醜態を晒してしまった。最悪だ。
チビとクロはここにいて、あの日々は本当なのに、私が臆病で不器用なせいで全てを台無しにしてしまった。思い出を汚してしまった。なんで私ってこんなにバカで気持ち悪いんだろう。
あれからチビとクロは天国へ旅立ち、誰とも再会することがない今は、あの日々が本当に幻になってしまったみたいだった。
サキちゃんの目にあの日々がどう映っていたのかわからず、答え合わせができないまま。
そうしてずっと締め付けられるような思いを抱えながら、少しずつ忘れていく私に、うれしいニュースが舞い込んだ。
弟が最近まで通っていた教習所の教官が偶然にも杉田くんだったらしく、「君のお姉ちゃんの家にボウガンと猫を見に遊びに行ってたよ」と話しかけられたというのだ。
ボウガン…猫…杉田くん……サキちゃん!
走馬灯のようにあの日々が駆けめぐって「あの日々のこと、私以外の人も覚えてくれてたんだ…!」と思うと胸が熱くなった。
だけど「じゃあ、あのコンビニのことも覚えてるのかな…」と恥ずかしがってるうちに、弟は無事教習所を卒業した。
残念ながら私はまた偶然を取りこぼし、ひとりあの日々を思い出しては胸をじんわり温め、こうして書き残すことしかできなかったのだ。
サキちゃんも、杉田くんと同じようにあの日々を覚えていて、私と同じように温かい気持ちになってくれてたらいいな。
そう願ってしまう私は、今も“あったらいいな”を思い描く厄介なあの頃の子供のままなのかもしれない。