どうしてもやりたいゲームがあって、ゲーミングPCを買った。新品で買ったら数十万円の大きな買い物になるから、中古の7万円を買った。
それでも私にとっては大きな買い物だった。どれがいいんだろう、ハズレをひいちゃったらどうしよう……。購入を決意するまで夜も眠れない日々を過ごした。
今日、そのPCが家に届いた。これを置くためだけに部屋を大掃除して、専用のスペースを作っていたから待ち遠しかった。開封して、設置して、接続して、汗をたくさんかいた。とても緊張した。
どうやら購入したPCは当たりだった。やりたいゲームがやれそうで、とてもうれしい。泣いちゃいそうなくらい、大事にしたいと思う。今、こういう大きな買い物をしてしみじみと思う。パソコンに水をかけてはいけないな、と。
今から20年くらい前のある日、父は大きな箱を抱えて帰ってきた。電気工事士という職業柄、「触れる機会があるかもしれないから」との理由で、わが家にPCとインターネットが導入された。
私はよくわからなかった。その箱で何ができるのか、繋がれた紐が何なのか。テレビも見られない、ポケモンもできないその箱を、父はとても大切にしていて、そしてとても怖がっている。
父は購入から1カ月、2カ月、3カ月と、毎週末その箱にかじりつき、紐をつけたり外したりと忙しそうにしていた。後ろでその様子を見ていても、やっぱりよくわからなくて呆れてしまう。
初めは真っ白な画面に自分や家族の名前を打ち込み、「おぉ〜」と唸っていた父だが、数カ月後にはその箱で誰かに手紙を送ったり、イルカを飼ったりするようになった。私はそのとき初めて「進歩」というものを目の当たりにした。
そのつまらない電子音や、消えたり現れたりを繰り返す灰色の窓には惹かれないけれど、おじいちゃんからもらったお古の電子辞書より、たくさんの楽しいことができそうな予感がした。私の認識は次第に、「父の箱」から「父のパソコン」へと変わっていき、そして触れたいと思うようになった。
だけど父のパソコンは父のもので、父は私たちに「絶対に触っちゃダメ」と言う。触ると「大変なことになる」と言う。家が爆発してしまうのだろうか。私は怖くて、でも大変なことになるかもしれないそれに触れたかった。
父がノートパソコンという大きな電子辞書を買ってきてから、「少しだけなら」とパソコンを触らせてくれるようになった。「時代はこっち」らしいから、あっちのパソコンはもういいらしい。
ついに私はパソコンと初めて触れあった。見よう見まねでカテゴリを選択して、知らない人が作ったホームページをたくさん見た。全然面白くないけれど、なぜかすごく面白い。私は父より早く、そして深く、パソコンとインターネットにのめり込んだ。
同年代の子たちが集まるBBSに「私は加護ちゃんが好き」と書き込んだ。プリ交換をするために「四国」という知らない国に住む女の子に住所を教えたら、お父さんに「女の子のふりをしたジジイだったらどうするんだ!」とぶっ飛ばされた。
だけど私はやめられなかった。夜と週末は必ず「ふみコミュ」のホームページランキングを開き、ドット絵を投稿し、開設した個人サイトにHTMLを書き込み、素材モデルを募集しているホームページにデジカメで撮った自分の写真を送りつけた。インターネットを謳歌していた。
そんなある日、私はついに大変なことになってしまった。
その日はクラスメイトに教えてもらった「2ちゃんねる」というホームページを見ていた。この前ここに「2組の田中クンに告ったらフられちゃった(T_T)」と書き込んだとき、「田中グッジョブ」というよくわからないけれどたくさんの励ましのレスをもらってうれしかったから、また書き込もうと思っていた。
その前に、ただ何気なく、誰かが貼り付けたリンクをクリックした。すると、おっぱいを出した外国人の画像がとめどなく出てきて画面いっぱいがおっぱいになった。私はとっさに画面を隠して、後ろに誰もいないことを確認した。
ど、どうしよう。怖くてエッチで消しても消しても出てきて止まらない。パソコンが壊れちゃう。家が爆発しちゃう。
私はこういうとき、パソコンの電源を切ってはいけないことを知っていた。昔、父が「『電源を切る』をクリックせずに電源ボタンを押したら大変なことになる」と言っていたから知っていた。
だから、大変なことになっているときに、もっと大変なことになることをしたら、もうそれはそれは本当に大変なことになってしまうと思った。
小学生が見てはいけないおっぱい以外のアレやコレも出てきた。わぁ、すごぉ〜い……。ってダメダメ、性に目覚めている場合じゃない。早くどうにかしなくちゃ。
私はなるべく平静に、だけど小走りで台所へ向かい、ドナルドダックの大きなマグカップに水をなみなみと注ぐと、誰に聞かれてもいないのに「の、のど渇いたなぁ〜……」と言って、パソコンの前に戻った。そして、パソコンに水をかけた。
そのあとのことは何も覚えていない。水をかけたところでおっぱいは消えなくて、結局電源ボタンを押した気がするし、夜、父の「え、何でここ水浸しなの……」という声が聞こえたあとに名前を呼ばれた気がするし、「お……おおおおおっぱいがぁ、止まらなぐでぇ(泣)」と謝った気がするけど、何も覚えていない。
今、しみじみと思う。パソコンに水をかけてはいけないな、と。なぜならあのころの父にとって、そして今の私にとって大きな買い物だったから。そして何より大変なことになるから。大事にPCを使っていきたい。