私は悲しみや悔しさや怒りを糧に頑張れるタイプのさみしい人間で、それに正々堂々向き合うと心がポキっと折れてしまうのだけど、「めんどくせえ」って言いながら笑い飛ばすとどうにかこうにか乗り越えられて、「気苦労してます。だけど私明るいんです」ってやってるくらいがちょうどいい。そんな感じで暮らしていて。
あと、たまに「めんどくせえ」っていう鎧ですら隠せない悲しみや悔しさや怒りもあるんだけど、そういうときは、自己完結させるためにいっぱい頭を使うと脳みそが焼けそうなくらいヒリヒリして疲れるから、苦しみが長く続かないことを知ってる。荒療治だけど、たまにならいい。
ただ、どうしたらいいのか分からないのが、「めんどくせえ」ものが悲しみも悔しさも怒りもきれいに荷造りして消えたとき。実像があれば頭の中で殴るんだけど、虚無になると何も持たずにバッドを降っているようなもんで、響かないから痛々しくなってしまう。それが今の私かな。
「めんどくせえ」があってもなくても、さみしい人間ってことには変わりなくて、生きるってそういうもんだよって教わってないけど分かる。それじゃあなんだか救われないような気もするんだけど……。まあ、いいか。
だから今は、目の前に差し出された美しいものをひとつずつ手に取る、なかったら拾い集めるってことをちゃんとやってる。そういうの好きだし「めんどくせえ」に邪魔されているうちは手に入れても大事にかわいがることができなかったから。したいことがいっぱいあって絶望とかしてないから結構、穏やか。生温いのがいいの。今は。
猫飼いたいな。あと引っ越し。来月には奥日光行こうとか。それとあとは人に優しくしようとか、そういうことなんだけどね。あ、これもまた「気苦労してます。だけど私明るいんです」の延長になっちゃうかも。でも別に声に出して言っているわけじゃないから。せいぜい誰かがここを見るくらいだから、ちょっとは謙虚でしょう。
あと、「めんどくせえ」って思ってた者へ、さようなら。お元気で。嫌いじゃないからもう知らない。さようなら。