こんなもんです

中卒女が今さらなことに驚いたり学んだりする日々をだらだらと記録しています。唐突に気持ち悪い話や思い出話をします。

感動屋さんで頭が悪い

おじいちゃん先生が風邪を引いてしまい、明日の授業はお休み。「休みだやったー!」の気持ちが半分、そして心配している気持ちが半分。そんな気持ちに驚いている。そしてなぜか、勉強を始めたきっかけを思い出してみる。

勉強を始めた理由、それは、私が感動屋さんで、頭が悪いから。感動屋さんで頭が悪いことは決して悪いことではない。毎日は楽しいし、困らないし、最高で、幸せで、シャウエンが大好き。だけどある夜、じっくりと考えた。

このままだときっといつか、いや近いうちに、うさん臭い話を信じてしまうような、のめり込んでしまうような、肉体だけはとっても元気な悲しい人になってしまうかも。そのとき、身寄りに寂しい思いをさせてしまうかも。

それは大袈裟かも、でも大袈裟でもないかも。今はまだ考えることが面倒ではなくて、どちらかといえば好きだけど、いつかは疲れてしまうかも。世の中の動きに怯えて、不安に押し潰されそうになって、楽なほうを選んでしまうかも。そんなことを考えて、とっても怖くなった。だから勉強をすることにした。

まあ別に、そのとき身寄りがいなければどうでもいいんだけど、とも思ったけど、決めた。もしいたらとっても申し訳ないから、いてほしいから、勉強を始めた。そして今、「まじでめんどくせー!」って思いながら、毎日勉強をしている。

勉強の内容は、まじでまじで基礎中の基礎で、こんなえらそうに書いていることが小っ恥ずかしいレベルで、たくさんの人がすでに到達しているゴールを目指しているけど、頑張っている。

 

だから明日のお休みは、「休みだやったー!」の気持ちが半分。おじいちゃん先生との毎週の授業は、正直言うと「まじでめんどくせー!」。5時間の授業が終わったあとは毎回「よっしゃあああああ自由じゃあああああ」って狂喜乱舞している。

「おじいちゃんまじで何喋ってるかわかんないだけど!」って身寄りにいつも愚痴ってる。「私はいつも、こんな夢を見るんです」という枕から始まるおじいちゃん先生の「学校にほぼ通ってないのに学年成績1位だった」話は聞き飽きている。

だから、心配している気持ちが半分。そんな気持ちに驚いた。おじいちゃん先生から「風邪を引いてしまいました。大変申し訳ないのですが、授業は延期とさせてください」という連絡が来て、そのとき私の胸がぎゅうううううってなって、うううううってなったから驚いた。

おじいちゃん先生は無料で勉強を教えてくれているのに、私がとんちんかんなことを言っても「うんうん」って聞いてくれるのに、「緊張したら深呼吸、どうでもいいやって1分くらい目を閉じたっていいんだよ」って励ましてくれるのに。

めんどくせーって思ってて、陰口を叩いちゃってて、内心で「お、寄席が始まった」って思ってて、ごめんね。落語みたいでわりと好きだよ、ごめんね。

驚いた。感動屋さんだから、おじいちゃん先生のたかだか風邪で、わずか数カ月間の思い出を振り返り、自らの過ちを猛省した。驚いた。頭が悪いから、「明日はたくさんゲームができるぞー!」って考えながら、ウキウキしながらこんなことを書いた。感動屋さんで頭が悪いことは決して悪いことではない。


おじいちゃん先生、明日はゆっくり休んでね。私もゆっくり休むね。間違えた、勉強するね。だってもう、試験まであと23日。いやあ、驚いた。

13文字

高卒認定試験の勉強を始めて、ようやくわかった。周りの大人たちが突然、何かに取り憑かれたように呟くあの「13文字」の謎が、ようやく解けた。

13文字。日常会話やテレビ、インターネットでおよそ年に一度は耳にするふしぎな暗号。13文字。大人たちが通じ合い、互いを認め合う魔法の言葉。

なかには聞いただけで、悪夢を思い出したように頭を抱える大人もいる。「それって一体……」。尋ねてみれば、皆が一斉に「いやあ、それは……」と口をつぐむ 。

13文字。それが一体何を示しているのか、彼らにはどのような過去があるのか。中卒の私には理解できなかった。聞くことをはばかられた。


まさか、三角関数のことだったなんて。


サインコサインタンジェント。ようやくわかった。過去のトラウマからだった。きっと、大人たちはみな、高校時代に植え付けられたのだ。

サインコサインタンジェント。謎が解けた。今まさにトラウマを植え付けられている身として、同情せざるを得ない。何か、時々言いたくなる。

サインコサインタンジェント

私もいつか、あの日の私の前で突然何かに取り憑かれたように呟こう。大人たちと通じ合い、互いを認め合おう。そして悪夢を思い出したように頭を抱え、聞かれたら口をつむごう。

だって、意味がわからないんだから。

アンバランス

説教をされたあと、父にKICK THE CAN CREWの「アンバランス」を聞かせたことがある。

 

説教。それは、焼酎のソーダ割を100杯くらい飲んだ父を前に、2〜3時間立たされ、中学生の私と、小学生の弟のどちらかがぶっ飛ばされるまで、終わらない説教。

原因は私か弟がやった何かか、やらなかった何か。それは世間的にはどうでもいいこと、今となっては思い出せないこと、だけど、私たち家族とっては大事なこと、らしい。

ほぼ週一ペースの説教。先週も、先々週も、同じようなことを言われて、先週も、先々週も、同じようなことを言わせるな、と言われて、先週も、先々週も、同じことばっか言ってんじゃねえよって思ったけど、言わなかった。

 

その日、私は先週ぶりに説教をされながら、意思表示をしなければ、と考えていた。

ただ「ごめんなさい」を繰り返しても、終わらない。家を出ようと考えている18歳まで、あと5年。毎週、毎週、耐えられない。

一番の解決策は、父の言う「やるな」と「やれ」に従うこと。だけど、やりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。そもそも、いつも途中で、何で怒られているのか忘れてしまうから、反論も思い浮かばない。

これをそのまま伝えたら、説教がもう1時間延長して、大五郎が空っぽになるだけ。あー、だるいな。あっ、ごめんなさい。

 

そうだ、それっぽいことを言ってみるのはどうだろう。

酔っ払いが好きそうなアツい言葉、心に染みそうなセリフ。例えば、お父さんの好きなビートたけしの名言。ファッ○ンジャッ○くらい分かるよバカ野郎。

 

そうこう考えあぐねているあいだに、誰かがぶっ飛ばされて、説教が終わる。父は、床や壁に体を打ちながら台所へ行き、湯を沸かし始める。いつもの、寝る前のサッポロ一番塩ラーメンを作り始める。

ああ、まずい。あと30分もしないうちに、父は立ったままサッポロ一番を食べて、ゲロを吐いて寝てしまう。いつもなら「さっさと寝ろよクソボケジジイ」と思うのに、今日は「お願い、味わって食べて!」と思う。伝えたいこと、言ってやりたいこと。

そうだ。私はケータイで違法ダウンロードしたある曲を思い出し、「あの」と、いろんなところから麺を出してむせている父を呼び止める。行かせてくれ、言わせてくれ、聴いてくれ。

これが今の私の気持ち、マイアンサー。

私もガキで、弟もガキで、やりたいことと、やりたくないことがたくさんある。

酔っ払いの小言、知らない、わからない。物分かりが悪い私と弟には明日も無理。だからやめて、義理とか根性とか、マジな話は。

私たちはかなり身勝手で、間違っているかもしれない。だけど笑い飛ばしてほしい。もう少しガキでいさせてほしい。

うちにはママはいないから。安定と未来は教わってないから。しのごの言わずに見守って。まだまだ行くからほっといて。

ウォーオー。

 

父は、「うるせぇよ」っつって、ゲロ吐いて寝た。

父子家庭2年目の父、中2の私。父は全部やめたくてお酒を飲んでいる。私も全部やめたいけど何もわからない。

そう今じゃない今はアンバランス。

そんな感じ

小学4年まで、ほぼ毎晩おねしょをしていた。5年の移動教室、6年の修学旅行のときまでには、1週間に1回程度。中学に入るときには、自然となくなった。

小学5年のとき、移動教室の前、「何かヘンなのかも」と心配したおばあちゃんに大きな病院へ連れられて、脳の検査をしてもらった。私も「何かヘンなのかな」と不安になったけど、白衣の先生に慰められて、帰りにデパートの上の階でごはんを食べたから、多分大丈夫だった。

次の日から、敷布団は防水性を重視したエアベッドに変わった。シーツの付け替え係は私になった。昨夜までは新聞紙とレジャーシートの上にシーツを敷いた布団で寝ていて、寝心地はシャリシャリしていたけど、今夜からはポアンポアンになった。

ポアンポアンとの初夜、私は胸をなでおろした。よかった、下校中によくおもらしをしていることは、おばあちゃんにも、白衣の先生にもバレなかった。本当は低学年のときも、高学年の今でも、たまにおもらしをしている。

おねしょは寝ている間だから、その理屈はよくわからない。脳を検査したうるさい機械にもわからなかった。だけど、おもらしはわかる。学校の帰り道、20分くらいの道のりの、半分くらいの地点で、いつも突然、太ももできつく締めないと押し流されてしまいそうな、巨大な尿意がお股を襲う。

毎日のように漏れそうで、用もないのにガードレールにまたがってみたり、用もないのに道路で正座してみたりして、必死に尿道を塞いでいる。毎日仲良く、おしっこと一緒に帰っている。

犬たちのトイレスポットであるポールに押し当てても、靴のかかとでふたをしてもおさえられないときは、特に雨の日なら、スカートなら、あきらめて、している。一箇所にとどまると新しい水溜りができるから、垂らしながら歩いている。お母さんにはすぐバレるけど、みんなには言えない。


そんなことを、昨夜3時過ぎ、珍しくトイレで目を覚ました同居人を見て、ふと思い出す。何だったんだろう。私のおねしょ、おもらし。

毎日シーツを洗っていたお母さん、大変だったろうな、申し訳ないな。移動教室と修学旅行の夜を思い出すと、今でもお股がゾッとする。翌朝、シーツにそっと手を当てたときのさらっとした感触を、感動を、今でも覚えている。

トイレから帰ってきた同居人に、今じゃないと思いつつ、でも言いたくて、「あのさ」と打ち明けてみる。「小学4年まで、ほぼ毎晩おねしょをしていた」と。同居人は、寝ぼけた声で「あぁ、そんな感じする」と言った。

小学4年生まで、ほぼ毎晩おねしょをしていた感じ。

「今のうちにトイレ行っときなさい」という忠告を、素直に聞かない感じ。トイレに行ったふりする感じ。茂みに隠れてする発想がない感じ。みんながトイレに行っているあいだに、階段5段飛ばしの練習をしたかった感じ。

したくないときは出ないし、我慢できなくなったら、あきらめてする感じ。寝ている間の私も多分、あきらめていた感じ。だから多分、何かヘンだけど、大丈夫だった感じ。言われてみれば、私って、そんな感じする。

寝たと思った同居人が「トイレ行っときな」と言う。したくないときは出ないし、我慢できなくなったら、は、もう、さすがに。行っとく感じ、そんな感じの31歳。

難しいですね!

歴史の授業において、「井伊直弼はどんな人ですか?」と聞かれた場合。普通、「日米修好通商条約に調印した」「桜田門外ノ変で暗殺された」など人物に関する事柄を答えるだろう。

しかし、私は真っ先に「優しかったのかなぁ」「いや、自己中心的だったのかも」などと人柄を考える。たくさん考える。そして、「そんなの、親戚でもない他人の私が勝手に答えるなんて失礼だよね……!」という結論に行き着く。だから、答えられない。要するに、バカ。

勉強って、難しいですね!

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買い物帰りの車中、同居人が突然、「親父の体調が最近良くない」「そろそろやばいかも」と、遠くを見つめたとき。私もまた深刻な顔で「そっか……」と頷き、また頷くことしかできず、しんとしたあと。

大きな霊園の前を通り、ふと、お盆のある晴れた日に行った墓参りの情景を思い出して。汗ばんだ肌がジリジリと焼ける心地よさを恋しくなって。たった30秒ほど前の会話を、車中の静けさを、すっかり忘れて。「あ〜、久しぶりにお墓行きたいな〜!」と言った、私。

「大きな霊園だ〜→晴れた日のだだっ広い霊園も案外いいよな〜→久々に行きたいな〜」という悪気は全くない単純アホボケ思考回路が、「同居人の親父→体調不良→死」という大不謹慎ルートと交わったとき。二つのゴールが「墓参り」であることに気付いたとき。

同居人の表情。焦る私。張り詰める空気。

会話って、難しいですね!

(親父はその翌々日くらいに元気になった。毎日ボートに行っている)

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こまったさんの黄色い食紅

自分のつらいことなんて、まあ別にいいとして。全然面白くない笑い話にも、同情をとことん買う不幸自慢の材料にもできるから。

なんかこう、あのとき、一緒に過ごした誰かとの、楽しかっただけの一瞬を思い出して、胸がぐちゃぐちゃってしちゃうのは、どうしようもできないのだろうか。これからもずっと、克服できないのだろうか。

いとおしかっただけなのに、大好きだっただけなのに、何でもなかったのに、今はもう見れないからって、いつまでもいつまでも、こうやって、いやになっちゃうのだろうか。

あのときああしていれば、こうしていればは、今さらどうにもできないから、自分のことがちょっと嫌いになるだけだけど、楽しかったあの一瞬にいる、いとおしい、大好きな誰かと私のことは嫌いになれないし。

何言ってんだろ。よくわかんないけどさ、家族で遊園地行ったときに弟が気に入って何回も乗ったあのアトラクションとか、クリスマスにお母さんがピカチュウのケーキを作るために買った黄色い食紅とか、それをテレビとかスーパーで見るたびにふと思い出して、ゲーッてなっちゃうの、だる。

だるくない、いやだるくないんだけど、そうね、こういうのってばあさんになっても変わらないのかなって思った。大人になれば〜みたいな話で、いつかは自然と克服できるかと思ったけど、そうでもなさそうだし。年をとるほどそういうことが増えて、そしたら死にたくなっちゃわないかな。楽しかっただけなのにね、困るね。

持続可能な

どうやら私の集中力は、1日1時間半〜2時間程度が限界みたい。2時間を超えると寄り目になって、よだれが垂れる。今度そうなったら写真を撮っておくから見てほしい。

以前はその集中力を全て、日記に充てていた。くっだらねぇ内容だけど、クソの役にも立たないけど、寄り目になって、よだれを垂らしながら充てていた。クソの役にも立たないって、ひどい言葉。

今は集中力の全てを勉強に充てている。高卒認定を取ったところでやりたいことは何にもないけど、九九をまだマスターできていないけど、充てている。この前、同居人に九九の表を作ってもらって助かった。

集中力を何かに充てることは、とってもめんどくさい。例えそれが日記でも、勉強でも、イヤイヤ、ヤダヤダ、バブバブ。たくさん寝たのに眠くなっちゃうし、たくさん食べたから太っちゃう。だったらやんなきゃ良いんだけど。

多分、私は集中力を持て余すと、布団の中で1時間半〜2時間程度、グジグジと考えごとをして、朝方に「死にてぇ〜」となる。多分というか、そう。だから、集中力は持て余さないほうがいい。

今のところ、数学が一番好き。考えたら分かるかもしれないから、考えれば考えるほど集中力が生き生きとする。九九なんて覚えなくても、表を見れば大丈夫。多分それじゃあ試験で落ちるけど、楽しい。

世界史や日本史は、年号と出来事を結びつけて、覚えて、引き出す作業がむずい。九九もそう。一十百千万億……の大きな数のかぞえ方、寿限無、近所のヤバい古本屋の37字の店名はすらすら言えるのに。

これ以上、ああでこうでって言ったらバカみたいだから言わないけど、バカだから別に言ってもいいんだけど、めんどくさいから言わない。とにかく、むずいのはむずいし、楽しいのは楽しい。

日記に勉強のことばかり書くのは嫌だけど、今は勉強しかしていないから勉強のことしか書けない。というか今日1時間半勉強したから、集中力の限界を超えている。写真はまた今度にする。