同居人とは、15年近く一緒にいたりいなかったりする。同居人はこれまでに、私の記憶のなかにたくさんの忘れられない一言を残してきた。
例えば、お菓子をぼろぼろ落としながら食べているときに言われた「すずめの後を付いて行けばお前にたどり着く」とか、映画「万引き家族」を思い出せなくて言い間違えた「あれなんだっけ、引っ越し貧乏」とか。
変なことばっかり。「なんじゃそりゃ」って思って、でも忘れられない。ついこないだの、「人に迷惑はかけていいんだよ」ってやつもそうだった。
これは、だからタバコをポイ捨てしようとか、列に割り込み中指を立てようとか、そういうことではない。人との関わりを「これ以上迷惑をかけたくない」という理由で遮断してしまう私への一言。
同居人は、「だって人に迷惑をかけないと人と付き合っていけないと思う」とも言っていた。私は「なんじゃそりゃ」って思って、でも忘れられなかった。
半年前、私は「一人暮らしをしてみたい」と夢見て、ある夜、来週のドラマの見どころを語り終えた同居人に、思い切って「一人暮らしをしてみたいんだ」と打ち明けた。
同居人は空虚を見つめ、録画予約を終えたあと、「シャウエンが寂しがるから、シャウエンも一緒にだったらいいんじゃない」とだけ言った。物件が決まると、私の荷物を新居へと運んでくれた。軽トラで何往復としてくれた。
シャウエンを携えた一人暮らしはすぐに始まった。電車が通るとメダカ水槽の水が波を打つ、家賃3万円のボロアパートだった。家賃と光熱費を支払うだけで、難しいことは何もなく、一人暮らしは順調に続いていった。
一人暮らしの目的は、一人で暮らすことだった。ボールペンが勢いよく転がるほど床が傾いているワンルーム。夜中になると外に出て、夜空へ向かって「バカヤロウ、クソボケ死ねうわああああ」と叫び出す隣人。見たこともないようなデカイ虫が飛来している自然豊かな周辺環境。目的を十分に満たしていた。
「一人暮らしをしてみたい」以外、特に夢や希望がなかった。悪いことをする勇気もなかった。だからすぐ、一人暮らしに飽きてしまった。
同居人とは毎日、「はさみどこ」とか、「机の引き出しの右手前」とか、他愛のないメッセージを交わしていた。窓の外から聞こえる電車の轟音は、まるで同居人のいびきみたいだった。好きな時間に起きて、食べたいものだけを食べて、だけど、だからやっぱり一人暮らしだった。
夏にも飽きてしまったころ、近所のお寺の階段で、衰弱している子猫を見つけた。子猫の命は一日と持たず、搬送先の病院で、私はやるせなく、とっても独りよがりな涙を流した。子猫と過ごしたたった一晩、私は同居人と私と、シャウエンと子猫と、大きなお家で暮らしていく夢を見ていた。
そして、家を買った。「みんなと一緒に大きなお家で暮らしたいね」と言って、一緒にお家を探した。同居人はワンルームの荷物を、私にとっては大きなお家へ、軽トラで何往復として運んでくれた。
迷惑をかけている私が、「人に迷惑はかけていいんだよ」って教えてもらうって、なんじゃそりゃ。人に迷惑をかけないと人と付き合っていけないなんて、なんじゃそりゃ。きっとまた、私は「迷惑をかけたくない」と言いながら、お菓子をぼろぼろ落としてしまうのだろう。
いろいろと端折りすぎているけれど、まあ何だか何だか、怒涛だった。って自分のせいか。
この間に優しい人が子猫のことで気にかけてくれたり、うちのばあさんが認知症になったり、思い立ってまたピアノを始めてみたり、だけどやっぱり楽譜が読めなかったり、お世話になった人が倒れたり、不動産屋にしてやられたり、一家離散になりつつあったり、ごはんをいっぱい食べたり、太ったりさ。
忘れちゃならんことと忘れたほうがやっていけそうなことがたくさんあるから、だからまあ、ぼちぼちやってくの。